おまえのにっきだよ

28歳、メンヘラ日記

思い出の

特別お題「おもいでのケータイ」

 

お題があったので書こうと思います。あれは中学の頃、兄が買うというのに着いて行き、自分の携帯も買ってもらいました。

確か…紺と赤の二色のやつだったように思います。いや黒だっただろうか…黄緑は違う、黒のスライドは違う…

ちょっと最初の携帯が思い出せずにいます。

あの頃、一年に一回携帯がなぜか壊れるという怪奇現象にあっていたので、定かではありません。一番好きだったのは、黄緑のスライド式のガラケーでした。スライドを繰り返すうちに電源が落ちるようになり、使えなくなったことを覚えています。

なんせ一年に一回壊し、壊れていたので、いまいち記憶にありません。

あの頃はガラパゴスケータイでした。

今のスマホがなぜ壊れないのか、謎です。

 

ガラパゴス

ガラパゴス

タバコ

どんどん喫煙者の肩身が狭くなって行く。

2020年にどうやら東京オリンピックが開催されることが関係しているらしい。世界基準に合わせるだとかなんとか。

わたしは特に東京でオリンピックをやってくれよ!!おもてなし!!!っと言っていたわけではない。なんかトウキョーウとボード持った外国人の多分偉い人が言っていた映像しか思い出せない。それまで、オリンピック開催地でゴタゴタ言っていたけれど、まさか日本になるとは思ってもいなかった。実際に色々と遅れていて、建物とか大丈夫なの?と不安な日本である。期日を守る日本人気質を発揮すればどうにかなるのかもしれない。

そう、東京オリンピックがあるらしい、

それはお国の好きにして欲しい。それがなぜ禁煙喫煙に話が流れてくるのかが分からない。

無職ひきこもりは、タバコ税は納めているのに、吸う場所すら取り上げられてしまうのか、と。居酒屋で吸うことができないというなら、飲酒も禁止してくれないか、もう居酒屋ってなんだよと、タバコも吸えない居酒屋って。駅内かよと。カフェかと。

お酒に酔ってベロンベロンになって路上で寝たら、嘔吐したりするのは皆迷惑ではないのですか?と。酒税は上がりませんね。

禁止

禁止

禁止!!!

声高に叫ばれる。肩身はどんどん狭くなる。

わたしはしけもく吸っている。

これからもタバコを売り続ける気満々にも関わらず、吸う場所はなくしまーす!って、どうしたらいいんだ。違うんだ、喫煙所を作ってくれたらもうそれでいいんだ、パチンコ屋で、台パンしているおばさんを見つめながら吸うタバコは悲しいものがあったんだ。

タバコをやめたほうが身体にはいいんだろう。

でも、タバコをやめるストレスの方がもう害になるほどに、タバコを吸ってきたんだ。

日本はどうしたらいいんだ、どうなるつもりなんだ。

他国の真似をするなら、真似をしつつ、自国の喫煙率や喫煙者、非喫煙者が幸せであるようにしてくれないだろうか。この国は、戦後の喫煙率8割だった国なんだよ。タバコ大国だったんだよ。

やっぱり言いたい。

東京でオリンピックやろーぜ!

って言った中島みたいなやつは、いったい誰なんだ。

メンヘラに喫煙者は多い。なぜか多い。

ホームレスでさえ、そのお金で違うものを買えばいいのに、タバコを吸っている。

逃げ場を、1つの依存場所を消されそうになっている。

 

助かりたい。

あと、しけもくじゃなくて普通にタバコ吸いたい。

短いの

またまた久々の日記だ。

こんばんは、帰宅しました。

 

なんだか最近は、深く深くへと潜り込んでいる人もいて、心配しつつ、早く春が来るよう、春を待っています。

 

わたし個人としては、短期バイトチャレンジや、手紙交換や、そうだ、色んな方にタバコを送ってもらったりしました。わりと精神も落ち着いていて、いま感謝を伝えられるだけ伝えるときなのかなあ、と思っています。

 

色々あるけれど、パニックを起こしたりもするけれど、幸せです。幸せに生きています。

 

みなさんに感謝を、

そして良い夜を、

より睡眠を、夢を。

 

明日も生きるよ

 

初代御三家

先日このブログを読み直してみたら、結構、同じことが書いてあって、あ、その場その場で書いてるから毎回前の記事忘れてるやつだな?これは?と思ったので、いくらひきこもりでネタが少ないと言っても、気をつけていこう!と思いました。気をつけますね!

 

幸せは見つけるものだと思う。

というようなついーとをみかけて、その通りだなあと、思った。そしてわたしは、幸せは気付くものだなあとも思いました。幸せも不幸と同様転がってるので、見つけて掬い上げていきたいなあ、と。

わたしは今ありがたいことに幸せに日々を送れています。みなさんが優しいから、自分にもひとにも優しくありたいと思います。

思うだけでも違うと思うのです。わたしは不幸だ!!!と思っていたら、きっとその人はいつまでも不幸なんだと思います。

幸せに、楽しく生きたいわたしは、物欲に貪欲ですが、楽しいことを見つけることや、幸せを見つけることにも貪欲です。

わたしは今幸せです!と、明日も明後日も言えるよう、生きて生きたいなあ、と思っています。

 

オフ会について書こうかな?と思ったのですが、実は28日に手料理を食べに行ってくるので、それと一緒に、ひきこもりのオフ会について書こうかな、と思っています。気持ち的には、女の子の手作りだぞ!うらやましいだろーう!って具合ににへらにへらとしております。

 

今日は短いけれど、ここまでで、

それでは、きっとまた明日に。

ほどく、よあけ

寝よう、寝ようと布団にもぐり、いつものようにドラマCDをBGMにして眠りにつくはずが、ドラマCDを聴き終えてしまいました。これは眠剤なしの睡眠チャレンジ失敗だなあ、と起き上がりました。今回は書きたいことがあって、できて、それはもう衝動に突き動かされているような感覚で、カタカタし始めました。

 

書きたい内容は『生きる理由』についてです。

みなさんは、考えたことがありますか?考えている途中ですか?様々な人がいると思います。理由がある人も、探している人も。

わたしは、理由を決めてしまった人間です。

生きる理由について、深く深く考えていたのは、たしか高校生の頃です。その時に考え、勝手に答えを、理由を決めてしまいました。自分の生きる理由なんだから、自分で決めても良いだろうと。それから、わたしの中の理由は変わっていません。

わたしが生きる理由は、とてもシンプルですが、

『産まれてきたから』

それだけの理由です。わたしは産まれてきて、今、生きています。今まで生きてきましたし、これからも生きる気満々です。これを打ち込んでいる今も、今日という日を生きようと思っています。明日も、明後日も、そうやって続いていくんだと思います。わたしは生に執着していきたい。だから、それが何年も何十年も続いていく予定です。そしていつか、死ぬ日が来るでしょう。動物ですしね。人間に平等に最期は訪れてくれます。だから、最期のその時まで、生きることにしました。それは理由なのか?と思う方もいらっしゃるかもしれませんが、わたしの生きる理由なので、理由ですと言い張ります。

死ぬ日まで、悲しいことや辛いこと、将来は見えませんし、輝いてもいませんが、事故や病気、自然災害で死ななかったら、毎日を生きてやろうと思うのです。楽しい、を忘れず、楽しいを少しでも多く自分の中に取り込んで、笑顔多めに、生きたいのです。産まれてきたから。

 

消えてしまいたいと思ったこともあります。たぶん、また考えてしまう時が来るかもしれません。パッと、いなくなる。存在自体が消えて無くなる。自分の生きていた証拠は何も残らず、誰の記憶にも残らず消えることができたらと。まあ、そんなことは現実で起こり得ることがないとわかっています。二次元じゃないですしね。わかっていても考えてしまう。考えて考えて、そうしていると、両親の顔が浮かびます。家族の顔が浮かびます。そして申し訳なくなります。消えたいと考えた自分を。産んで、育てて、心配かけて、今でも心配をかけて、生きています。そんな両親に申し訳なくなるんです。それは、もう一つの生きる理由に繋がります。

わたしにとっての最大の親不孝は、親より先に死んでしまうことだと思っています。普段中々に親孝行できない自分が、唯一できる親孝行が、両親を看取ることだと思っています。なので、今、消えたいだなんだ死ぬだなんだ言えるところにいないんだと、そう感じるので、生きます。両親を看取った後は?と聞かれれば、その時周りにいてくれる人がいるだろうから、死なないな、と。

両親がいて、家族がいて、わたしは産まれてきた。

だから、生きます。楽しくね!

 

昨日のことなんですが、

『イカしてる』

と言ってもらえたんです。わたしはその言葉が本当に嬉しくて、サイコーにハッピーになれる言葉をもらった!と、浮かれていました。

サイコーにハッピーで、イカした自分であれるように、精進するぞ!邁進するぞ!

 

さあ、もうそろそろ、夜明けも来るでしょう。

みなさん、おはようございます。

 

寝る前に

またまた時間の空いた、日記になってしまいました。毎日更新を目指すぞ!と意気込んでいた、始めた頃が嘘のようですね。そしてわたしの意志の弱さと、わりと何もない生活を送っていることがわかります。

 

さて、今回は何を書きましょうか。メンヘラ.jpについて書きますね、そうしましょう。わたしがメンヘラ.jpと出会ったのは、あるリツイートからでした。そのリツイート内容ではライターを募集していて、ぼんやりとしかライターのことを分かっていないのにも関わらず、躁の勢いでメールを送りました。全部で3通。我ながら、送りすぎだなと、今では思います。1通目は自己紹介と、ライターになりたいということを、わりとポップに書きました。そのメールを送った後、編集長の記事が更新され、あっ、わたし、ポップすぎた。完全に躁で浮かれポンチになっていた!と焦り、2通目で謝罪をし、3通目で自己紹介をやり直しました。いきなり3通ものメールを送りつけられた編集長も驚いたことと思います。

そして、受かったというような内容のメールが来た時、わたしは疑いました。まさか!嘘だろう!と。こんなに褒めてくださっているけど、これは上げて落とす作戦なのではないか?と、実際に自分の記事がサイトに載った時に、ああ!これは、現実なんだ!本当だったんだ!!と思いました。といっても、お給金をもらうまで、いやー、わたしの記事でお金がもらえるの?信じられない…と考えていたところもありました。実に失礼な話です。そして、いま、こんなにもメンヘラ.jpが大きくなったことにも驚いています。

 

記事を読んでいます!という声を聞かせてもらうことが度々あり、その度に、ようやく、ああ、自分の記事を読んでくれている人がいるんだ。と実感します。ついったーで書いたように、嬉しくもあり、ありがたくもあり、そして少し照れたりしております。わたしの記事が楽しみだとおっしゃってくださる方、方法を実践してみました!と教えてくださる方、わたしも同じなんですと言ってくださる方、様々な方がいらっしゃって、すごくすごく嬉しくなります。記事を書いているときは、一人でのキーボードカタカタしているので、感想をもらえると、とても嬉しくなるんです。

 

わたしの記事が、暇つぶしや、生活のなにか良いことに繋がるよう、精進させていただきます。

よろしくお願いいたします。

みなさん、いつも、ありがとうございます。

こんこ

物欲に取り憑かれていたら3時間あっという間に過ぎるということを、身をもって体験した先日。いったいわたしの物欲は何処からわいてくるのか、考えてはみるものの、物欲が頭の中に渦巻いているのは、日常だなあと気付き、これは、生きているからかな?そう、生きているもんな?と着地しました。

 

ここ最近は脚本を書いていて…というより書かせてもらっていて、本日書き上がりました。人と人形の物語です。脚本を書くのも、物語を書くのも初めてで、手探り行ったり来たりしつつ、〆切を物の見事に破りつつ、やっと書き終わり、( 関係者のみなさま、本当に色々ありがとうございます ) 物語の終わりの余韻と、中々にひさしぶりな達成感と、いろいろが重なり、眠気が訪れず、朝を迎えてしまいました。

物語を書くのこと、楽しかったなあ。それと同時にとても難しくて、小説を書いている全国のみんな、すごいな…と、実感を持ちつつ。やっぱりわたしはプロットのようなものを考えるのが、どんな文章でも苦手らしく、、今回もその現実をぐりぐりと見せつけられました。

今回書いた物語は、「人形」というキーワードがあり、それを聞き、スッと思い浮かんだのが、物語のラストでした。なので、思い浮かんだ結末にどうやってたどり着くかを、うんうん言いながら書きました。

物語を書く前に、登場人物の詳細、プロフィールを考えたのですが、それがとてもとても楽しくて、物語とどう関係させるか、この人物が動きだしたらどう動くか、と頭の中で空想をどんどんと膨らませていました。おもしろい。

テーマも設けて書いたのですが、私ではない誰かが見た時に伝わるのか伝わらないのか、結構いま、不安だったりします。人はどう感じるんだろうか… なにか伝わるものがあればいいなあ、と願っています。テーマですが、ひとつというわけでもなく、登場人物ごとにある感じで、いくつもあります。大枠のテーマもありますが、それだけでなくごたごたと色々あったり。

物語を書いて、実感したのが、登場人物に愛着が湧くというか、なんというか、自分の中で特別なところに入るものなんだなあ、と感じました。どの登場人物もすきな自分がいつの間にかいて、おおお、う・・・と、はじめての感覚に、恐る恐る手を伸ばした状態です。

 

こういった特別な機会が、自分に訪れたことに、誰にいうわけでもなくありがたいなあ、と感じる。メンヘラ.jpをキッカケにして、今まで触れたことのないものに触れる機会が増えて、すごく楽しいんですよね。昨年の今頃は、自分が文章を書くことになるとは夢にも思わず生活していたなあ…一年でこんなにもいろいろ変わるのか、と、長くひきこもりをしてきたわたしは驚きました。いや、今でもまだまだひきこもり継続中!なんですけれどね!今月は…病院に行くのに一度お外に出たかな?というくらい相変わらずお外に出ていません。今月は出て二回かなあ…二回くらいだろうなあ…どうやら学生の方は冬休みが終わったと聞いたので、わたしの冬休みはいつ春休みに変えようかな?と考え中です。

 

本日の天気は雪。今年初めて雪をみることになるんだと思います。わたしの住んでいるところでは、さして積もることもないと思いますが、少しの雪を堪能できたらいいな。

 

それでは久々な日記もこのあたりで終わりにします。

以上、おまえ

 

PS.米騒動が起きているので、お米が欲しい。

タール6mg

やる気の問題なのか、抑うつなのか、やりたいと思うことに集中できず、叫びだしたくなる今日この頃。ここ最近ずっと続いているのですが、少し書いては頭の中がごちゃごちゃになり、一向に進まない。回避方法は一応あるのですが、お金がないため実行できません。

心臓を鷲掴みにされたような圧迫感が続き、きっかけがあれば泣いてしまいそうな、そんな気持ちで満ちている。

衝動がチラつき、実行した先が頭の中で流れる。空想なら鉄パイプだって登場させられる。切れ味のいいナイフだって登場させられる。

 

Twitterに書いたけれど、わたしは殺されるくらいなら躊躇いなく殺すほど、生きたい。相手の方が価値のある人生とか、そんなことは何も考えず、自分が生きるために殺す。もたもたしていたら殺されてしまう。それは困る。わたしは生きていたいから。

わたしはメンヘラのくせに死にたいと言う言葉が嫌いです。拒否反応なのかもしれない。ボンヤリとしか意味がわかっていない頃に、数え切れないほど聞いたから、言いたくない。言われた方の無力感を思い出して絶対に言いたくない。言った本人は忘れてしまっていたけれど、わたしのなかからは消えてはくれない。

なのに人間は歳を重ねるほど、つらくなったらつらいではなく死にたいという。当時できなかった、どうやって死ぬかという具体的方法を聞きたくなる。遺書はちゃんと書いた?と、聞きたくなる。別に追い詰めたいわけではなく、なぜ思考が死に向かうのかわからないから質問したくなる。全部放り出して逃げ出したい!と言われた方が納得できてしまう。それほどにわたしの中の死にたいは重く、重く重く、死にたいという人と同じくらいに、それを言われた近しい人間の無力さを知っている。だから死にたいという言葉は嫌いだ。

死にたいという言葉の前には、どんな言葉も無力で、自分の役立たずっぷりに無力さと、悲しさと、暗闇が押し寄せる。それでもわたしは笑顔でいた。笑わなくてはと思っていた。その頃は泣けなくなっていて、涙腺が壊れていたように思う。役立たずのわたしの勘違いは、強くなろうとした結果、泣かないことに繋がってしまった。笑顔で守らなくてはいけないと、強く思い込んでしまった。つらいときは、悲しいときは、泣いてもいいんだと気づくまでに5、6年かかってしまった。

だからみなさん、つらい時や悲しい時に、ちゃんと泣きましょうね。そんな状態の時に笑顔じゃなくてもいいんです。我慢なんてしなくていいんです。

死にたいでなく、逃げ出したい、放り出してしまいたい、知り合いのいないところに行きたい、ひたすら自室にこもりたい、など、死にたいじゃなくても日本語はたくさんあるから、死にたいでまとめなくてもいいんじゃないかな。

 

そんなわたしは今やる気が欲しいです。

メランコリーに負けないやる気が。

 

以上

あけおめ

みなさま、

新年あけましておめでとうございます。

昨年は、大変お世話になりました。2017年も何卒、よろしくお願いいたします。

 

大晦日もまともに堪能せず、なんだか寝て起きたら新年が訪れていました。

新しい年だ!さあ、心機一転!というほどに、幼かった頃のように年が変わった実感もなく、ぼやぼやしてたら新年が来ていた、そんな感覚で新年を迎えております。

Twitterのみなさんの新年の挨拶や、年賀状を眺めて、年が変わったんだぞ、と自分に言い聞かせるようにしています。

 

幼い頃あったあの、新年の特別感をいつどこかにおいて来てしまったのか、もう記憶にないのですが、意識的に、気持ちを新たに2017年のはじまりはじまり、と思っていこうと決めました。

新年といえば、一年の抱負。

わたしの一年の抱負はなんだろうか、と考えて見たところ、去年の抱負が現状維持だったのを思い出しました。昨年と同じでは面白くないので、今年は、記憶に残す一年にするのを抱負にします。思い返すと昨年のことは断片的にしか思い出せず、もっと一年後振り返ることができる年にしたいな、と思ったからです。今年は25歳にもなることですし、昔々でいえば「人生50年」その半分の年になるのだと思うと、成長云々は目標にしてしまうと、きっと自分で重荷に変えてしまうので、一日、一週間、一ヶ月、一年を大切にするようにという願いを込めて、「記憶に残す一年」にしていきたいと思いますよ。そして、大前提の大きな目標は、生きる。でいこうと思います。

 

一年の始まり、特別なようで当たり前に迎えた新年を、大切にして生きたいと思います。

みなさんの今年の抱負はなんでしょう?

一月一日、本日が楽しい人も、つらみを感じている人も、一緒に生きましょう。マイペースに生きましょう。

 

自称かわいい乞食改、おまえを本年度も何卒よろしくお願い致します。

願わくば、笑顔に溢れる一年になりますように。

あけましておめでとうございます

 

おまえ

出会いを

おはようございます。

日記何書こうかなあって考えたけど、それはもう何も浮かばなくて、日頃考えていることは何か、行き着いたのですが、行き着いた先がBLでした。

BLについて語っても、大半の方がぽかんとするような気がするので、BLとの出会いを書いていこうと思います。

まず、わたしは中学一年の時に美術部に入らなければ、オタクになっていませんでした。家に漫画があふれていたわけでなく(祖母の家には叔父の漫画が山ほどありましたが)少女漫画を読んでいたくらいでした。ちゃお派でした。アニメに至っては、夕方やっていたら見る程度で、それよりバラエティやドラマの方を優先していました。そしてテレビっ子でした。しかし良い子だったわたしは夜更かしをしなかったので、深夜にアニメがやっていることなど知りもしませんでした。

時は進んで中学。運動を避け、筋トレを避けたら美術部のみが残り入部。そこで同じクラスの英才教育を受けたオタクの子と出会ったのが深夜アニメや声優さんとの出会いです。季節はちょうど春。春アニメの時期です。ワクワクしながら夜更かししてみたのは、「涼宮ハルヒの憂鬱」の、第1話でした。今で言うなら第0話。

ハルヒにハマってからというもの、アニメ雑誌・声優雑誌・アニソン・キャラソン・ラノベ・声優さんのラジオ etc それはもういろんなものに手をつけて生きました。少女漫画が好きだったわたしは夢小説にもはやめにハマっていた記憶があります。

そして出会った本屋でのアンソロジー。

二次創作と知らずに買ったそれは、思いっきりBLでした。好奇心も相まって、それまで祖母の家で「変」などを読んでいたからなのかわかりませんが、すんなり読み切り、抵抗感もありませんでした。それからは夢と二次創作BLを交互に読んでいき、そのうち二次創作が創作BLに興味が移っていき、最終的に商業BLにハマっていました。

やっとBLと出会った…

 

BLCDで初めて購入したのは、学園ヘヴンの4枚組のドラマCDです。スタートが4枚組は我ながらやりすぎだよなと思います。

ちなみにその4枚組のBLCDは借りパクされました。

 

おしまい