下書きはたまっていたけれど、どれもしっくりこず、新たに書き始めています。春眠暁を覚えず、はて、春はいつまででしょうか?なーつよこい、はーやくこい。
過眠続きで20時間を切ると、ああ今日はそんなに寝なかったなと思ったりしている自分に、感覚狂ってるぞ、おまえ。と、自分自身に感じたりします。
寝転がってぼーっとしている間に、希死念慮や死にたいや自己肯定感についてぼんやりと考えて、結果、なんだこの自己肯定感は…といった気持ちになりました。他者より自分自身が満足できるか、できたか、そちらを優先してしまうので、文章を褒めてもらえた時、あっあっ、読みやすかったですかね?ありがとうございます。拙い文章に…気付けば書くことも描くことも好きになっていました、はい、あ、ありがとうございます!と早口でまくしたてるような、褒められ慣れてなさが出ています、内心で。
希死念慮でいっぱいになっていた頃は、殺害衝動も同時にあり、今は燃やして無くしてしまったけれど、遺書などを書いたりしました。夜な夜な血みどろの夢を見て、死んだら殺したり、あの頃のわたしは何に囚われていたのか、今は思い出せませんが、悪い夢が全身に絡まりついていたような、そんな毎日でした。それでも死にたいという言葉がトラウマなわたしは、死にたいということは口が裂けても言えず、あの頃からどう抜け出したのか、パニックを起こし泣き叫んでいた日々がちょっとした思い出になりつつあります。今は寝逃げを覚えてだいぶんマシになりました。好きなことをするということも、どれだけ大切なのか、以前よりわかった気がしています。
まあ、それでもメランコリーが酷い時は何もできず、布団に転がっているんですが。
ああ!あと、泣けるようになったのはきっと大きかったんだろうなあ。小学生の頃強くあるために泣かないと決めてから高校卒業あたりまで、泣くことができなくなっていました。言い聞かせと思い込みは怖いですね。
なので、わたしは泣きたい人にはないて欲しいと思っています。場所なんて関係なく、どうせさして泣いている人のことなんて気にしてくれる日本でないので、好きなだけ。泣いて、水分をとって、疲れて眠るのは、ストレス解消になると思います。
相談できる相手がいるのもいいですね。わたしはいかんせん相談するのが苦手なのですが、そうでなければ、聞いてくれる人でも、カウンセラーさんでも吐き出せるように。コップの水が溢れたら、何が起きるかわかりませんからね。
これから梅雨がやって来て、みんなぐったりとするような気がして、そしてわたしもその波に飲まれそうな自分もいますが、生きましょうね。
あ、梅雨のために雨がっぱ欲しいなあ。黄色の。
皆さん、そこそこ、適度に適当に、
なんだか元気かもしれないなあ、といった感じでいきましょう。一緒に。
さあて、良い子はそろそろ寝る時間ですよ!