おまえのにっきだよ

25歳、メンヘラ日記

ドアを蹴破った

お題:どんな時に生きづらさを感じますか?

 

生きづらさ、皆さんそれぞれ感じる瞬間が、あるのではないかと思います。

はじめは、ありきたりな「普通が出来ないと痛感したとき」にしようかと思いました。

しかし、書き始めようとしてふと、いやいや!普通が出来ないことくらいもうずいぶん前からわかっているし、わたしは自分で出来ることしかしないよ。と、気付いたので、再度考え直しました。

たぶん、わたしは、自分の思う通りに進まない現実に生きづらさを感じます。とんだ自己中心的な考えですが、残念ながらわたしはそういった人間でした。

大きく言えば金銭面の話ですね。ひきこもっているわたしに収入源はなく、けっして裕福な家でもありません。(米騒動が起きてるほどには貧困です)

いつでも自由でありたいのが望みなのです。好きなものを見て、好きなものを買って、好きなものに囲まれて、好きな時に好きな場所へ行って、楽しいに全振りした生活を延々続けたいのです。そんなわたしの望みでありわがままが、全て通る世の中ではありません。周りに許されることで生きている。

その楽しいがプツンと切られた時に、生きづらさを感じます。

楽しく生きていたいのに、それができない。許されない。となると、ひどく苦しくなります。我慢というものが笑えるくらい下手くそなのも関係していると思います。

 

数年前のわたしは、自殺ではなく人を殺すことで幸せが手に入る。と、日がな想像していました。処方されている薬を混ぜて、順番はこうで、あまり血は出さないほうがいい、眠るように安らかに。いや、それとも、頚動脈を狙うのが一番だろうか?全員殺し終えたら、わたしは自殺するか捕まるか、どうしようかな、と。自殺するのなら死に場所を考えないと、と、インターネットで検索していました。遺書も書きました。眠るといつも血なまぐさい夢を見て、それを楽しいと思ってしまっていました。その後の入院です。

普通が出来ないのなら、普通でなくていいじゃないかと、思ったのは思い出せないほど前で、当時学生だったわたしは、ああ、周りと一緒に進んでいくのは無理だな、と、ふっと、当たり前のことのように受け止めた記憶があります。無理だよ、毎日学校に登校なんて、と。じゃあ合わせなくていいや、と周りと一緒を勝手にやめました。

 

話を元に戻しまして、楽しいをずっと続けて生きていたいです。楽しい気分を壊されると、怒りの方向に行き、昔はよく父親と怒鳴り合いをしていました。口の悪いわたしは、方言丸出しで、親に使う言葉じゃないな?という言葉でやり合っていました。その後、20分くらいで解決します。お互い楽天的なので。

好きなものだけ食べてたいし、好きなことだけしていたいし、好きなものが欲しいし、好きな人と関わっていたいし、そうなるように日々生活しているので、それが無理だよと。自分の力じゃどうにも出来ないところにあって、それが息苦しいです。お金がないことも、タイミングが合わないことも、力が及ばないのも、せっかくの楽しいことに手が届かないと息苦しくつらく、なります。

 

双極性障害のわたしは、うつがくるのも嫌いです。動けなくなり、日がな一日寝て、起きてもだるくて寝て、楽しいことが楽しいと思えなくなり、ただ日々が過ぎて行くのは、もどかしい。何時間も椅子に座ってぼうっとしている時間も、おいしくない食事も、誰とも会いたくない会話したくないのも、全部嫌いです。もちろん混合期も嫌いです。感情のジェットコースター。泣きわめくことしかできなくなり、自罰的になる思考。楽しくない、楽しくないのは嫌いです。楽しく生きていたいから。楽しいって感じてる時ってサイコーじゃないですか?笑顔が増えて、悲しいことやつらいことはどこかへいく。そうやって暮らしていたい!しかし現実は非情にも許してはくれない!!

 

なのでわたしは、楽しめる時に思いっきり楽しむことにしています。前後を忘れて、今を。

なので、この生きづらさを感じる時は、楽しくない時ですかね。

 

楽しく生きたい。そう生活できることに、人に感謝を忘れず、今をサイコーに。そうしたら未来も過去も明るくなるんじゃないかなって、そんな風に思います。

 

以上!

P.S.

真面目にかけてましたかね?